家事と育児と地方と仕事

発達障害の子供の育児と家事に追われて仕事もしつつ、熊本で頑張ってるお父さんの物語です

2度目の地震の傷跡

一度目よりも大きな揺れ

家の中はまるでおもちゃ箱をひっくり返したよう。揺れている間は皿や食器がバリンバリン割れる音が聞こえます。棚の中身は全部出てしまい、家具の上下が分かれてしまい転がってしまっています。

 

ようやく揺れが収まった時には目を疑う光景になっていました。

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椅子が倒れ棚の扉が千切れてしまいました。皿の破片で床は危険な状態になっています。(この写真は朝撮りました。)

 

 幸いなことにテレビは無事で落ちませんでした。どうやら足についているゴムがボードに貼りついてボードと一緒に揺れる事でうまいこと落ちずに済んだようです。

 

しかしながら、14日の地震では止まらなかった電気も今度の揺れでは止まりました。ガスも水も。電気はその後数分で回復したものの、ガスも水も出なくなってしまいました。

 

後から聞いた話では、後々断水する可能性も考えてお風呂に水をたくさん入れておいた方々が、2回目の揺れで湯船の中の水がほぼ全部こぼれて脱衣場の方に流れて水浸しになってしまったそうです。また、運が悪い人はそのまま階下に水がしたたり落ちて、下の部屋を水浸しにしてしまったというのもありました。

 

 我が家は運が良く貯めていた水が無くなることも漏れることもありませんでしたし、2回目の地震でも貯めておけましたが、水道管が壊れたようで水が完全に止まりました。

 

こうなってくると、トイレに行くのも問題になってきます。トイレは便器の部分から水を入れるとそのまま下水に流れていきます。しかし、1回につき古いものでは13リットル(1987~2001年商品 TOTOより)、最新式でも3.8リットルの水を消費します。湯船に入る水が200‐250リットルですから全部をトイレに使ったとしても20から52回の間。

 

4人家族ですから一人最高13回、3日で水が来るとして4回となってしまいます。水の補給は絶対に必要です。

 

簡易トイレを準備すべき事が分って頂けると思います。しかし、簡易トイレを用意するにしてもそんな量が準備できるかというと…。そしてどんなものを用意すればいいのかというのは全然頭にありませんでした。

 

そして、ここがとても困ったところなのですが、避難所そのものが確保できなかったのです。近くの小学校の指定避難所はすでにいっぱいになっており、指定避難所になっていない小学校や中学校もあっという間に一杯になっていました。さらにはその小学校中学校もまったく水が来ておらず、当然トイレもままならないことになっています。

 

熊本県わざわざ防災のプロフェッショナルである元防衛大学学長で現在も国の防災プロジェクトに関わっている五百旗頭氏を熊本県立大学の最高責任者として理事長職に招へいしているにもかかわらず熊本県立大学やその他熊本県の施設に防災のための資材を一切準備していませんでした。食糧も水でさえも。

 

いや、正確には熊本県立大学ソーラーパネルを敷設したり、体育館を防災施設化しておりましたが、地震により被災しそれらの施設は何の役にも立ちませんでした。それどころか、そもそも県立大学を指定避難所にもしておらず、最終的にはすがりつく避難民を追い出すことをしております。

 

それどころか熊本県民が被災した4月14日以降連絡が取れず25日にしてようやく熊本で連絡が取れる状態になったという体たらくですから大したものです。

 

未曽有の大災害であり、備えが無かったというのは仕方がないという風潮はあります。しかし、今回大分はともかく熊本県に関してはそれはありません。熊本県では国の防災担当者が県知事に意見できる立場にあり、国自体は南海トラフや布田川断層・日奈久断層が通っている熊本県に自身が起こる可能性を示唆しており、知らなかったわけはありません。

 

建物が想定外の地震で壊れてどうにもならないというのはまだわかりますが、資材を全然揃えていない(テントどころか食料も水もない状態)というのは少なくとも防災をかじっている人間としてはあり得ません。現に静岡や関東一円では、数日分の食料と水が避難所に確保されています。はっきり言えば県知事の怠慢です。

 

県民が防災のためのグッズをそろえていないという事で、他県民から、特に阪神淡路の被災者の方、中越の被災者の方、東日本大震災の被災者の方からお叱りを受けております。確かにその通りです。そろえない県民が悪い面があります。しかし、本来のその知識を与えられる人間がいるのにもかかわらず、そしてその人間を招へいしたのにもかかわらず活用しなかった県知事は責任が無いのでしょうか?

 

この食糧と水、そして各種資材がが無いことが県民を苦しめます。朝になると、現状がだんだんわかってきました。14日に起こった地震よりもさらにひどい被害が襲っています。

 

高速道路はさらに破壊され、一般道も橋が落ちたり液状化が起きたり、ひび割れで通行できないところが波紋のように広がっています。一階部分がつぶれて二階部分が道路と接触しております。

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今でこそ、阿蘇益城が大変だ、という報道がなされて全国の皆さんもご存じだと思います。しかし、熊本市をはじめ、宇城市宇土市八代市も甚大な被害があります。そして今現在もまだまだその影響から逃れられておりません。

 

2か月前は、 灯油タンク、ブルーシート、紙皿、紙コップ、インスタントラーメン、パックごはん、水や寝袋にテント、おむつや粉ミルクがまたたく間に消えていきました。そもそも売っているお店がありませんでしたし。14日に運営していたお店も16日には運営できなくなっていました。

 

そこここでガスの臭いが充満し、車で買い物や避難をしようとする人で道路がいっぱいになっております。正直に言えば、車に乗って移動すればかえってパニックになるのに、と思ってみていました。案の定そこここで接触事故が起きていました。

 

ここからが本格的な苦労の始まりになりました。